

空調の効いたオフィスを出て、オープンカフェで仕事をしよう。
ここなら排気ガスも騒音も気にならない。
緑に囲まれて仕事をすれば、もっとクリエイティブになれる。
公開空地や船場後退線などの非建蔽部分を活用した
オープンカフェやポケットパークを作っていけば、
三休橋筋はもっと思いがけない大阪になり、
大阪の街全体の魅力が増すだろう。
三休橋筋の近代建築


三休橋筋界隈はレトロな建物が多い。
休日にはカメラを持ったカップルがスタイルある街を散策している。
社会が経済効率を追求する中で、多くの近代建築は取り壊しの危機に瀕している。
建物が取り壊されるとき、単に建物だけでなく、彼と彼女が歩いた大切な街の思いでも同時に失われる。
ヒューマンスケールの街


ヒューマンスケールの道路、
レトロなビルや店舗等を活かして、
南船場やトアウエストのような、
歩くことで何か新しい発見ができる、
回遊性のある街に三休橋筋をかえていきたい。
三休橋筋の町屋


都心に住む人は年々少なくなっている。
戦災を経て大阪の街の移り変わりを見続けてきたこの家も、
いつかはビルになるのかもしれない。
人の住まない、オフィスだけの街は、味気ない。
三休橋筋の緑


船場には緑が少ないという声を聞く。
だが、まちをよく見ると、けっこう緑があるのだ。
船場の緑は御堂筋のイチョウ並木だけではない。
三休橋筋にも市営駐車場ができてパーキングメーターが撤去されるそうだ。
これまで車を停めていた部分を使って歩道を広げ花を植え
ガーデンアベニューを作り出せないものだろうか...
後ろに見えている建物は、H15年に国の重要文化財に指定された綿業会館。
社団法人日本綿業倶楽部の会館である。
この綿業会館は、昭和3年、東洋紡績専務取締役であった岡常夫氏の遺言により100万円の寄付を受け、これに繊維業界からの50万円を加え建設され、昭和6年12月31日に竣工した。
ちなみに、同じ年に再建された大阪城天守閣も同額の150万円。
その規模を考えると、いかにすごい建物か想像できよう。
昭和7年1月1日に開館し、3月には満州事変のリットン調査団が大阪を訪問したときに滞在している。設計者は渡辺節。渡辺は中之島のダイビル、神戸の商船三井ビルの設計者でもある。
ラベル:三休橋筋
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